チームを信頼するということ

「マネージャーがチームを信頼すると、どんなメリットがあるの?」

といわれたので色々考えてみた。

この場合マネージャーって言うのは部長クラス以上のマネージャークラスで、チームって言うのはスクラムチームみたいな10人くらいのチームだ。


・まず信頼するって何?

ここでは権限委譲する、ということにしておく。
報告さえすれば、チームに割り振られたタスクを消化している限りは何をしてもいいということ。

例えばだけど、3ヶ月でプロダクトをリリースしようぜ、というタスクがあって、それを順調にこなしている限りは定時で帰ろうが、あるいはJenkinsを導入しようが、ゆっくり神社を建立していようが、あるいは新たな追加機能を提案してみようが、かまわないということ。

タスクをこなしている限りは選択はチームの自由だ。

もちろんベロシティを消化して上司の覚えをめでたくしてもいい。


・信頼するとなにがいい?

ここでは話をプラクティスやツールの導入にしぼってみる。

割り振られた成果は出している。
だからチームはさらに挑戦してみることにしたとしよう。
Jenkinsによる継続的インテグレーションと自動テストだ。

理由はなんだっていい。手動テストがだるいからかもしれないし、チームのビルド職人が「転職してぇ」と不穏な発言をしだしたからかもしれない。

Jenkinsと自動テストへのチャレンジは成果を維持した状態でチームが持ち出しで試行する。

うまくいけばチームの成果は上がる。うまくいかなくてもコストはチームの持ち出しだから会社は困らない。


・信頼しないとできない?

信頼すること=権限委譲すること
という定義だから、信頼しない=権限委譲しない、ということになる。

するとチームはたとえばJenkinsを導入するために、稟議書を書いて提案内容をパワポにまとめて、何回もプレゼンして、偉い人に説明しないといけない。
とにかく面倒くさい。
そしてそれがリジェクトされるかもしれないし、偉い人に生意気なやつだとにらまれるリスクもある。

そう考えるとチャレンジしようとする人は増えないだろう。


・研究チームでやればいい話だろう?

研究チームでやる場合、制約条件がある。
 *「次に研究すべきもの」を研究チームが理解していないといけない。

 *会社は研究対象に予算をつけなければいけない。それは「前払い」だし、前払いするからには審議する。審議するからにはカジュアルにチャレンジできない、どうしても「実績のあるもの」に寄ってしまう。

 *失敗したものにも費用を払わなければならない。

 *研究しても現場にローカライズしなおさないといけない。せっかく社内に展開しようとしても、「社内で使ってもらえない」では意味がない


・会社がチームを信頼することのメリット

信頼することにより現場でのチャレンジが活発化する。
現場でのチャレンジが活発化すると「すでにチームで成果が出ているもの」「現場で使えるようローカライズされたもの」を「後払い」で手に入れることができる。


・では研究チームを解散するべきか?

チームを信頼するやり方では、チームが「いま必要なもの」を優先的に手に入れようとする。だから戦略的に会社が注力しようとしているものを主体的に研究することはできない。
戦略的に技術投資したい部分に関しては研究チームでやらせるべきだと思う。


・そんな余計なことしている暇があったら仕事しろ。俺の若いころは土曜も日曜も(以下略)

自分の努力が自分の目に見える形で返ってきたほうが、士気があがり、労働効率は高まる。
だから、各人に裁量を与えて自分で研究させたほうが、上で万事決めて割り振るより効率的だと思う。